デルソル乗り「愛の絆」

61



愛媛県松山市 りゅーこ さん 20代 看護婦

平成4年式 SiR トランストップ AT

赤(オールペン) 走行4万9000km



<デルソルとの出会い>

 デルソルと初めて出会ったのはもう4年ほど前の話。
 私の姉は黒い車に乗っていた。この頃私は車に興味がなく、車酔いするためドライ
 ブも好きではなかった。
 ある日初めて姉の車に乗せてもらうことになった。 
  「この車、二人乗り・・・狭い。しかも何か座席低いな。」
 そう思いながら乗った。

 その日は快晴。暫く走っていると姉は急に路肩に車を止めた。
 そこのレバーを下げて、と姉が突然言う。
 言われるままレバーを下げると窓が開いた。続いてピーピーという音と共に天井が
 上がり始めた。
  「へ?」
 約1分程後、その車はオープンカーになっていた。
  「なにこの車っ。オープンカーになった?!か・・・かっこいいぞっ!!」

 そう、言うまでもなく姉の車はCR-Xデルソルだったのだ。
 私はオープンカーに変形するまでの過程が楽しくて仕方なかった。
 何度か車に乗せてもらう度にオープンにして欲しいと頼んだが、あの日以降一度も
 オープンにしてくれたことはなかった。
 それから1年もたたないうちに姉はインテに乗り換え、名前も知らないまま私はその
 車と別れることとなった。

<再会>
 それから数年、学生時代も終わり、やっと念願の免許を取りに行くことになった。
 何でも先走ってしまう私は免許が取れる前から車を選び始めた。
 どんな車にしようか、かっこいいのがいいなー。フェラーリ!
 そんなバカな。買えるわけがない。やっぱりスポーツカーがいいな。
 でもきっと運転は下手だろう・・・。 考えに考えたが特に欲しい車がない。
 親は軽四にしろとうるさかった。
 そんな時、姉が乗っていた車が頭をよぎった。
 車に詳しい知人にその車のことを話してみたが、あっけなく分からないと言われてし
 まった。

 仕方もあるまい。記憶に残っているのがオープンになる二人乗り、これだけだった
 のだから。そんな車なら何処にだってある。メーカーすら分からなかった。
 何とかありったけの記憶を吐き出し、それはデルソルであろう、という結論に達した。
 詳しいことは何も覚えていない。
 ただあのオープンになるときの格好良さと、「デルソル」という初めて耳にした名前の
 響きに惹かれ、あっさり私は決めていた。

 がっ、次の一言。
  「その車、もう生産されてねーぞ。」
 中古車雑誌を買いあさり、デルソルを必死で探した。
 しかし、私の条件に見合うものがない。
 AT限定、それがまず大きなネックとなっていた。走行距離は少ないものを・・・。
 なかなかない。 トランストップがいい!マニュアルトップばかりだ・・・。
 ないよ・・・。絶望の二文字が頭をよぎった。
 ところが運のいいことに姉の知り合いにホンダに勤めている人がいた。
 もうこの人にすがるしかない。色など希望してはいられない!

 お願いして約二週間。
 何とかいい条件のものが出てきた、との連絡が入った。
 H4年式、SiR、トランストップ、A T、走行42000Km、赤。 
 赤色、というのが気になったが、これなら・・・と思った。
 しかし、この時点で私は免許が取れていなかった。
 ええい気にするな!取れるハズ!!

 ・・・甘かった。
 仕事の都合が合わず、なかなか教習所へ行けない。
 そうこうしているうちに車はとっくにホンダに届いていた。
  「車は届いているのに乗れないなんてっ!!」
 悔しくて一度ホンダにご対面しに行ったりもした。
 そうして車がホンダに届いて約1ヶ月後の7月31日、やっと私は愛しの赤デルに乗
 ることができたのだった。

<今後のこと>
 長々とこれまでの過程を話してすみません。
 あっさり決めたわりには今ではデルソルに並々ならぬ愛情を注いでいます。
 見てかっこ良し!乗って良し!
 他の車を運転したのは教習車のみですが、私の中ではデルソルが一番!
 周囲のみんなが何と言おうと好きなんだっ!!(笑)
 正直言って車のことはさっぱり分かりません。
 メンテナンスも知人にまかせっぱなしです。

 けれど、これからもずっとずっとデルソルを大切にしていくつもりです。
 少々壊れようがお金がかかろうが修理して乗り潰れるまで乗って、最後のオーナー
 になりたいと思っています。




市街地平均燃費

 約 − km/l 

 高速平均燃費

 約 − km/l

オープン率

約 40 %

 改造度

約 10 %
※1


※1 社外リアスポ装着、5ZIGENアルミ、MD装備



戻る 次へ